姉と弟でできちゃった婚なのか?

姉と弟でできちゃった婚なのか?

彼女は、やらなくていいこと、やってはいけないことを、やってしまった。
まあ、それが人間、といえばそれまでだが。

 

あ、やらなくていいこと、やってはいけないこと、とは、
遺伝子上の弟との結婚や出産、ではない。
同じ母親に捨てられたことを知らず恋愛結婚、姉が弟の子を出産。
こういうニュースを見つけた。

人間は、確かに動物なんだが、やはり動物ではない。

 

もちろん、生物学的には、科学的には、人間はどこまで行っても動物である。まんま畜生だ。

 

しかし、形而上学的には、ようは神学的には、人間は、厳然として、動物とは隔絶した別格の存在である。

 

それをヒューマニズム(人間中心主義)という。

 

ヒューマニズム的には彼女は異常でもなんでもない。たとえば、

 

A.彼女のように、生物学的に兄弟姉妹なのだが、それを全く知らずに近親婚・近親出産した場合

 

B.養子や貰い子などで、遺伝子的にはまったく無関係の男女が、乳児のときから実の兄弟姉妹として育てられたのに、その中でセックス・出産した場合

 

どっちが人間として異常か?といえば、後者のBのほうである。

 

人間は、動物として生きてるわけではなく、人間として生きている。
社会的に「他人」という意味を付与されて育った男女は、たとえ遺伝子的に繋がっていようが、人間として「他人」なのだ。
逆に、社会的に「家族」という意味を付与されて育った男女は、たとえ遺伝子的に無関係でも、人間として「家族」なのだ。
遺伝子のルールを破ることより、社会的意味のルールを破るほうが、人間としては異常だ。
なぜなら、人間は単なる動物ではないからだ。

 

しかし、彼女は、やらなくていいこと、やってはいけないことを、やってしまった。
それは、自分を捨てた母親を探してしまったことだ。

 

母親は子供と遺伝子で繋がっている。たとえ母子を、物理的に、空間的に、切り離そうが、遺伝子の類似は変わらない。しかしそれ動物の母子の話である。

 

人間の母親と子供は、遺伝子ではなく、「意味」で繋がっている。
抱っこする、面倒を見る、一緒に生活する、仮に何かの理由でそれらが不可能でも「愛している」、、、という社会的意味である。

 

しかし彼女の母親は、理由は不明だが、したくてそうしたのかどうかも判らないが、母子の「意味」を切断したのである。

 

意味を切断したら、動物しては永遠に母子でも、人間としては母子でないのだ。

 

捨てるには、別れるには、それ相応の理由があったとおもわれる。

 

さらに、もう何十年も経過している場合、彼女の母親はすでに別の人生、別の家族、つまり「別の意味」を再構築している可能性も高い。

 

その「相応の理由」を考慮せずに、再び「過去の意味」を取り戻そうとすれば、「現在の意味」と衝突し、何らかのトラブル、アクシデント、ノイズが発生することになる。

 

だいたいにおいて、それは、アンハッピーなモノになることが多い。

 

彼女は、遺伝子上の母親を見つけようとするべきではなかった。
すでに捨て去られた「意味」を復活させようとするべきではなかった。
それが彼女の唯一の「罪」である。

 

ただ、意味を求めるのも、また人間であり、酷な意見だとは自覚している。